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カテゴリー:アル・カポネ

  • アル・カポネ
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    ギャング史上に残る「聖バレンタインデーの虐殺」

    米国における禁酒法は、1920年から1933年までの13年10ケ月19日7時間32分30秒間続いた「高貴な実験」と揶揄されている。0.5%以上のアルコールを含有する飲料を「製造しない、売らない、物々交換しない、輸送しない、輸入しない、輸出しない、届けない、提供しない」ことと定められたが、酔うことは禁止されなかった。時はあたかも「狂騒の20年代」と呼ばれ、米国は繁栄を謳歌していた。ジャズ・エイジ、アール・デコ、フラッパーガールなどの新文化が花開き、大量生産・消費時代が始まっていた。酒を飲むな、といわれて素直に従う者はいなかった。 酒税の5億ドル(約3000億円)が失われ、財源に苦しむ政府には飲酒を取り締まる手段も意欲もなかった。ニューヨークでは1万5千軒ほどだった酒場が禁酒法以降、3万2千軒もの無許可バー(スピークイージー)を生み、飲まれた酒量は10%増えた。合法的な企業によるかつての仕事(酒の製造、輸入、流通)はギャングスター、つまりマフィアの手に渡り、莫大な利益をもたらしていった。 ギャングの暗躍についてはご存知の方も多いだろう。映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でロバート・デ・ニーロが演じたのはニューヨークギャングだった。ニューヨークはイタリア系犯罪組織「コーザ・ノストラ」の縄張りである。



    当時の最高幹部サルヴァトーレ・マランツァーノにより5大ファミリーにまとめられ、そのマランツァーノを暗殺したチャールズ・“ラッキー”・ルチアーノによって絶頂期を迎えた。





    彼らは果てしない権力闘争に明け暮れ、“バグジー”ことベンジャミン・シーゲルも設立に携わった「殺人株式会社」(マーダー・インク)を使って互いに殺戮を繰り返した。“ラッキー”のあだ名は、裏切りを強要されて拷問を受け、顔を切り裂かれ55針を縫う大怪我をしても生き残ったことにちなむ。また“暗黒街の首相”の異名を持つコーザ・ノストラのボス、フランク・コステロは、原価8ドルの酒を末端価格400ドルで売って暴利をむさぼった。彼はFBI長官やニューヨーク市長とつながりを持ち、ジョン・F.ケネディの父ジョセフP.ケネディと密輸の仕事をしたと豪語している。 一方、「アンタッチャブル」で有名なシカゴ・アウトフィットもすごい顔ぶれだ。シカゴではカナダから酒を密輸していた。このため、闇市と酒場の奪い合いでシチリア系のサウスサイドギャングとアイルランド系のノースサイドギャングが対立していた。“スカーフェイス”・アル・カポネは、ニューヨークで2件の殺人事件に関与していたこともあり、禁酒法施行の頃シカゴのサウスサイドに移ってきた。彼はビルを丸ごと購入し、1階を酒場、2階を馬券場、3階を賭博場、4階を売春宿に改装して違法の巣窟にするなど頭角を現し、26歳で年商1350億ドルを稼いだ。また、後にシカゴ市長となる“ビッグビル”・トンプソンに26万ドルの献金を行うなど官憲を次々と買収して成り上がり、1929年にはカポネ一家の年間の収益が6200万ドル(現在の貨幣価値に換算すると8億3千万ドル)に至った。ノースサイドの宿敵ジョージ・“バグズ”・モランとの凄惨な抗争を繰り広げた。“恐怖のジェンナ”ことジェンナ兄弟やジャック・“マシンガン”・マクガーンを使って互いに暗殺を企て、ついにはギャング史上に残る「聖バレンタインデーの虐殺」を引き起こしてシカゴを牛耳った。しかし財務長官アンドリュー・メロンの号令のもと、密造酒関係の調査を行なったエリオット・ネスのチーム「アンタッチャブル」は対決姿勢を強め、最終的に脱税を主としてカポネは告発された。有罪判決を受けて刑務所に収監され、梅毒に罹り48歳でこの世を去る。 カポネの育て親ジョニー・“ザ・フォックス”・トーリオは別な意味でユニークなギャングだ。彼は酒も煙草も博打もやらず、商品である娼婦にも決して手を出さなかった。小柄で内気で几帳面、頭が良く紳士的で気前もよかった。8歳年下で赤毛を持ち、知的で育ちの良いアイルランド系のアンナ・ジェイコブズと結婚し、彼女をして「最高の、そして最愛の夫」と言わしめた。実際には酒で400万ドル、賭博で400万ドル、売春で200万ドルを稼ぐ“良き夫”であった。



    ちなみに日本のマフィアに関しては以下のように紹介されています



    一時期、日本政府も議員もマフィアに支配されていた???動画を確認ください。


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    26歳で年商1350億ドルを稼いだアル・カポネが息子に宛てた親密な手紙

    アル・カポネが息子に宛てた親密な手紙が、マサチューセッツ州で行われたオークションで62,500ドルで落札されました。この手紙はアルカトラズ刑務所で服役していた時に書かれたもので、カポネはその中で息子に「これからもそのまま頑張り続けて、何にもくじけないで」と励ましの言葉を贈っています。

    オークションの主催者RR Auctionは、この手紙が約50,000ドルで落札されると予想していましたが、実際にはこの額を上回る価格がつき、落札者は匿名を希望するシカゴ地域のコレクター。2023年2月14日(火)ネバダ州のモブミュージアムMob Museumにて94年前の大虐殺以来、初めてギャングの銃撃事件で知られるすべての証拠が一堂に公開されると聞いたので撮影に行ってきました。ラスベガスのダウンタウンにあるモブミュージアム、マフィア博物館は、国立組織犯罪・法執行博物館としても知られ、アメリカの組織犯罪の歴史と、それに対抗する法執行機関の努力を年代順に紹介しています。


    1933年に完成し、ネバダ州および全米歴史登録財に指定されている旧連邦裁判所は、1950年にアメリカの組織犯罪の摘発と規制を目的とした14の全国ケフォーバー公聴会のうちの1つが開かれた法廷そのものを収容しています。

    アル・カポネがアルカトラズ刑務所から息子に書いた手紙

    この3ページにわたる手紙は、アル・カポネの息子、アルバート "ソニー" カポネ宛てに書かれており、手紙の最後には「愛とキスを込めて、あなたの親愛なる父、アルフォンス・カポネ#85」と署名されています。この85は、カポネがサンフランシスコ湾のアルカトラズ島で服役していた際の番号でした。

    専門家たちは、禁酒法時代のシカゴのギャングを支配した悪名高いモブスターが、実は普通のお父さんでやさしい心や息子や家族愛を持っていたことを示していると指摘しています。





    本文
    Well Son, here is your dear Dad, with a letter for you, and pray to God, it will find you, in perfect health…Junior keep up the way you are doing, and don’t let nothing get you down. When you get the blues, Sonny, put on one of the records with songs I wrote you about to Ma, to you, which I sure go to town playing them and about 500 more on my Mandola, I also have to transpose my music, from Piano Copy, as the Music people don’t print Music for the Mandola, So I…transpose to one key to another. Sonny I got a Song like Rainbow on the River, that was sung by Bobby Breen, in the Rainbow on the River picture, I sure hope you seen it as we saw it out here, now what I mean by transposing is the Song, Rainbow on the River, was in the Key of 3b, I have to transpose it down to 1b and Son of mine when I come home, I will play not only that song, but about 500 more, and all mostly Theme Songs from the best Shows. In other words Junior, there isn’t a Song written that I can’t play. You know my Mandola is got eight strings, and tuned exactly as the Tenor Banjo A-D-C-G. The only difference is the Mandola is played mostly for Solo work, but the Tenor Banjo plays Cords in the Orchestra, and I mean it too when I was playing in the band in here. First I learned a Tenor Guitar and then a Tenor Banjo, and now the Mandola, but for Solo work only. Well now Sonny…I am sure happy, to hear about you and your pals, had nice holidays at Miami and that you all had a good time, Well heart of mine, sure hope things come our way for next year, then I’ll be there in your arms, and maybe that sure will be a happy feeling for Maggie and You. Well Sonny keep up your chin, and don’t worry about your dear Dad, and when again you allowed a vacation, I want you and your dear Mother to come here together, as I sure would love to see you and Maggie…Now Son about me please do not worry, as when you see me again, you sure will be surprised, in fact Junior I am 7 1/2 pounds under 200 Ha Ha, and in good shape, my routine here is Morning Yard, I mean the amusement Yard, Baseball, Horseshoes Courts, and Hand-ball courts, Checkers and Dominoes, I and a friend of mine keep all items in perfect shape, and work all morning, and afternoons yard if its sunny otherwise I play my music, until 3 P.M., and from 3 P.M. I write songs…Tell Mother to order for you a Monthly Magazine I get here, Called ‘Fortune’…as to my estimation I think it is the most sensible Magazine written. Well Son, there isn’t much I can write, but chin up, always, and at any time, there is something you need or want, please don’t forget Son, that whatever you ask for, it will be done irregardless…I know Maggie gets out to your College suite often, as that sure breaks up the old Blues, and when you see her again give her a couple dozen kisses Capone style and a first class hug…God bless you my dear Son, and it’s short time Son, I will be with you in less than a year.

    まあ、息子よ。こちらはお父さんだ。手紙を届けるために来たんだ。天に祈って、健康で元気に過ごしているところに届くことを願っている。ジュニア、その調子で頑張ってくれ。何があっても落ち込まないで。憂鬱な気分になったら、お母さんやあなたのために書いた歌のレコードをかけて聴くんだ。お父さんはそれらを弾いて、それに加えてマンドラ(Mandola)で約500曲以上のテーマソングを弾いている。ピアノ楽譜から曲を転調する必要がある。マンドラ用の楽譜はないからだ。転調するのは大変な作業だが、ジュニア、お父さんは弾けない曲はないんだ。マンドラには8本の弦があって、テナーバンジョー(Tenor Banjo)と同じチューニング(A-D-C-G)を使うんだ。唯一の違いは、マンドラはソロ演奏に適しているが、テナーバンジョーはオーケストラでコードを弾くことができる点だ。お父さんはここでバンドで演奏していたときにテナーギターとテナーバンジョーを習った。今はマンドラを習っているが、ソロ演奏専門だ。さて、息子よ。あなたと友達たちがマイアミで楽しい休暇を過ごしたことを聞いて、お父さんはとても嬉しいよ。来年こそは、あなたの腕の中にいることができるといいんだが、それが実現すればマギーもあなたも幸せな気分になれるだろう。息子よ、お父さんが心配ならいらないよ。また会えるときには、きっと驚くような姿になっている



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